彼方の物語
人影のまばらな桟橋についてすぐ、
彼女は宿に腕時計を忘れた事に気がついた。
大切な思い出が宿った時計だった。
取りに戻ろうかという気持ちがふわりと浮かんだが、
桟橋を中程まで歩き進むと、何故だかそんな気持ちも消えてしまった。
そして今日ぐらい、せめてあの夕陽が沈んでしまうまで、
いつもより少しだけ軽い左手のままでいてもいいかなと、
彼女は思った。
黄金色に染まる水平線を眺めながら、
彼は彼女と初めて手をつないだ日の事を思い出そうとしていた。
遠く島影を疾り抜けてゆく帆船を目で追いながら、
彼女は握りしめた彼の手の指を、飽きる事なく数え続けていた。
朽ちた桟橋に、言葉を失った二人の影だけが長く伸びていった。
古い桟橋の先端で、二人は微笑んだ。
出逢ってからまだ半日も過ぎてはいない。
お互いの素性も、仕事も、年齢すらまだ知らない。
なのに、まるで古くからの親友のように
二人の間に語る言葉は尽きることがなかった。
初めて見る南の島の夕陽は、どこか恐ろしかった。
昼間家族と遊んだ、光に溢れた蒼い海はもうどこにも存在していない。
少年にとって沈む夕陽は、楽しい旅の興奮を容赦なく連れ去ってゆく、
巨大な怪物の最後の断末魔のように見えてならなかった。
夕陽に背を向けた少年を、遠くで父親の影がやさしく手招いていた。
黄金色に包まれた海辺の片隅で、
私はそんな空想のシャッターをそっと下ろす。
目の前に広がった夕陽の桟橋ではそれぞれの現実が息を吹き返し、
4つの物語はレンズの奥底へ静かに消えていった。
島で写真を撮る事に飽きると、
私はよくこんな想像で自分を楽しませています。
勝手にストーリーをつけられた相手にとってはいい迷惑ですが、
木陰なんかで休みながら人々の行き交う姿を眺めていると、
ついつい頭の中で物語が膨らんでしまうんですね。
「あの一人旅の女性はきっと…」とか、
「あのカップルは本当は…、あの釣り客の数年後は…」
などなど…
背景は文句なく美しい沖縄の離島。
おまけに季節は島が一番光り輝く真夏の盛りという最高のロケーションなら
もう、想像力は全開です。
目に映る人々が全てひとつひとつの物語の登場人物となり、
頭の中では三文小説のストーリーが次から次へと生まれては消えてゆきます。
まぁ才能がないので、ほとんどはまともな筋にはなりませんし、
時には真実の方がドラマチックだったりもしますが…
なんにせよ、暇つぶしの想像がアブナイ妄想に変わる前に
住み慣れた現実に戻るのが健全のようです。
by amboina
| 2010-08-14 05:48
| 八重山