深 淵

南国の日差しの下で、青い海と白い砂浜が広がり
年間数十万人という観光客が訪れるこの島にも、
踏み込むことを躊躇わせる場所がある。

そのひとつが島の重要な祭事や祈願が行われる
「御嶽」という聖なる場所だ。
神司と呼ばれる神から選ばれた特別な女性が代々守り、
祖先や御嶽に祀られた神と交信する拝所である。

島の人々は日々の生活や節目の年などにこの御嶽を訪れ、
供物を献上し祈りを捧げ、神司を介して神と会話する。
何百年もの間、そうして幾万の願いを常世に送り届けてきた場所だ。
当然、観光客や物見遊山の輩が気安く立ち入ってよい場所ではない。
少なくとも、私は立ち入ろうという勇気がわかなかった。

御嶽の入り口には鳥居が立てられており、
そこから珊瑚砂を敷いた道が深い森の奥の拝所へと伸びている。
はじめてその鳥居の前に立った時、空気が違うと思った。
ざわざわと草木の揺れる音やカラスの鳴き声はするのだ。
しかし入り口から数歩先、手を伸ばせ届くような距離に
見えない静寂の壁のようなものが確かにある。


結界とも言うべきその壁が、外界と聖域とをくっきり分けていた。
これを押し分けて先に進もうなどとは、とても考えられなかった。
後に神司の手伝いで、特別に中へと入らせてもらった時も、
やはり私のような不信心者を堅く寄せ付けない、
底知れぬ空気がその場に満ちていた。

この島と、この島の人々にとって、
神の住む深淵とはすぐ傍らにあるものなのだ。

そうして島人が代々大切に守っている聖地ですが
哀しいことに、その御嶽に入り込む観光客は少なくありません。
まさに神をも恐れぬ行為な訳ですが、いくら看板を立てようと、注意されようと、
「せっかく来たんだから」と侵入する人が後を絶たないのです。
「そういうお前だって、観光客だし無信心者じゃないか」
と言われたらそれまで。返す言葉もありませんが、ルールはルール。
それもけっこう最上級のルールだと思うのです。
やたら聖域に踏み込んで、ずいぶん怖い思いをした人もいますしね。

by amboina
| 2010-05-24 11:20
| 八重山