
日暮時というものは、おしなべて静かなものだと思っていた。
この日最後の太陽が遥かな地平線や水平線に消えて行く様を、
それぞれ感慨をもって眺める、落ち着いた時間だと。

空が茜色に染まった週末、追い立てられるように桟橋へ急ぐと、
海辺はスペクタクルを待ちわびる人型のシルエットで溢れかえっていた。
楽しげな声が響き、語り合う様々な会話が折り重なって、
穏やかな海辺を埋め尽くしている。


夕陽に照らされたそんな人々の顔には、
旅の興奮と高揚が眩しいほど輝いている。
太陽が沈み黄昏があたりに広がっても、
海辺はそんな柔らかい喧噪にいつまでも満ちていた。


宿に戻って行く若者の一団からひときわ高い嬌声があがった。
まるでこれから始まる夜の宴が待ちきれないかのように。


そうだ、静かな夕陽ばかりでは淋し過ぎる。
この島の日暮時が、いつもこんな風に賑やかで
幸せな空気に包まれていたら、どんなに素敵だろう。

陽の名残りをこうして笑顔で終えられることは、
本当に素晴らしいことなのだから。

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by amboina
| 2010-05-30 17:45
| 八重山

海を背に集落の外れまで歩くと三脚を立てた。
時には海辺ではない別の場所で、
この島に沈む夕陽を撮ってみたかったからだ。


太陽はまだ高かった。
カメラを取り付け、構図を考えながらぼんやりタバコを吸っていると
一台の古ぼけた軽トラックが私の傍らに寄って停まった。
「こんなところで何を撮る?」
訝しげに窓から顔を突き出したその老人に理由を話すと、
彼はしばらく私と三脚のカメラを見比べ、
おもむろにニヤリと笑った。
「この季節なら良い場所がある、教えてやろう」

急いで宿へ戻り、カメラ道具一式を背負って自転車に飛び乗った。
集落の外れから外周道路をぐるりとまわり、島の南側の小さな浜をめざす。
辿り着いたときには夕陽が遠く西表島の麓に沈もうとしていた。

息を飲むような絶景だった。
いまだかつてこんな美しく沈む夕陽を見たことがなかった。
私は切れる息でカメラをセットし、夢中でシャッターを切った。

夕時の浜遊びにやってきた女性客が、
私がレンズを向ける彼方を覗いて小さな歓声をあげる。
その時、私は去り際に老人が囁いた一言を思い出していた。

「そこは50年前、俺がばあさんを口説いたところだ」
そう言った老人の目には、大切な秘密を打ち明けるにはふさわしくない、
いたずらっぽい光が宿っていた。

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by amboina
| 2010-05-29 09:12
| 八重山

自分のように風流とはおよそ縁のない人間が、
よもや花を眺めて歩くようになるとは思ってもいなかった。

地元でも見ることができるありふれた花から、
おそらくは熱帯地方でなければ見ることのできない絢爛な花まで、
この島には数しれない花が咲いている。

もちろん詳しい名前など知らないし、調べようとも思わない。
ただぼんやり眺めながら、あてもなくぶらぶら歩くだけでいいのだ。
それに一年中がお花畑のようなこの島では、
花を探す手間もほとんどかからない。


しかしそうして日がな一日、花を数えながら歩いていると、
今まで気がつきもしなかった花達の素顔にも気づくようになった。


最初はそれこそ真っ赤な原色の花にばかりに目を奪われていた。
しかし日向にばら撒たような群生や、天高く伸びた梢の先の一輪。
石垣の端や森の中でひっそりと身を寄せ合う花達の中にも、
見る人の目を奪い、心を惹く自然の彩りがある。


そんな小さな彩りを探して、島をあてどなく歩くのは楽しいものだ。
なんなら口笛の一つでも吹いて歩きたいほどである。


もうじき花に溢れたこの島を再び訪れる日がやってくる。
梅雨が明けるその頃、花達はいっそう力強く咲き誇っているだろう。
それまでには、とてつもなく柄ではないのだが、
今年こそ花言葉の一つぐらいは、憶えていってもいいかなと思う。

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by amboina
| 2010-05-27 09:45
| 八重山

八重山の島々へ向かう交通手段は限られている。
というよりかなり特殊なケースを除いては一種類しかない。
定期便とチャーター便を含めた高速船である。


八重山諸島の主島である石垣島には、
各離島を結ぶ高速船を運行させている海運や観光会社が数社あり、
日々競い合うように島々へ船を送り出している。

それぞれ40ノット以上は楽に出せる流線型の船ばかりだ。
凪の日は穏やかな海面を風が滑るように疾走し、
波が高ければ船首を海面から高く突き出し、
強烈な波しぶきを上げて波頭を跳ね飛び渡っていく。


さらに梅雨が明け、いざ真夏の観光シーズンともなると、
観光客を詰め込んだ船達が水平線に白い航跡を曳きながら絶えず行き交い、
さながら離島航路は渋滞した海の高速道路へと変貌する。


正直に言って船はあまり得意な方ではないのだが、
ここ八重山の海を疾駆する高速船に限っては、乗るのが全く苦にならない。
もちろん嫌だと言い張ってもほかに手段がないのだから仕方がないのだが、
むしろ待望の島が少しずつ近付いてくるの眺めながら、
激しいエンジンの振動に揺さぶられている時間は胸躍る時間でもある。

主島から私の通いつめる島までは船で15分とかからない。
その時間は、故郷というものをあまり意識しないで育った私にとって、
夏休みの帰省にはしゃぐ子供が抱くようなワクワクとした高揚感を
つかの間、味あわせてくれる貴重な時間なのだ。

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by amboina
| 2010-05-26 02:01
| 八重山

南国の日差しの下で、青い海と白い砂浜が広がり
年間数十万人という観光客が訪れるこの島にも、
踏み込むことを躊躇わせる場所がある。

そのひとつが島の重要な祭事や祈願が行われる
「御嶽」という聖なる場所だ。
神司と呼ばれる神から選ばれた特別な女性が代々守り、
祖先や御嶽に祀られた神と交信する拝所である。

島の人々は日々の生活や節目の年などにこの御嶽を訪れ、
供物を献上し祈りを捧げ、神司を介して神と会話する。
何百年もの間、そうして幾万の願いを常世に送り届けてきた場所だ。
当然、観光客や物見遊山の輩が気安く立ち入ってよい場所ではない。
少なくとも、私は立ち入ろうという勇気がわかなかった。

御嶽の入り口には鳥居が立てられており、
そこから珊瑚砂を敷いた道が深い森の奥の拝所へと伸びている。
はじめてその鳥居の前に立った時、空気が違うと思った。
ざわざわと草木の揺れる音やカラスの鳴き声はするのだ。
しかし入り口から数歩先、手を伸ばせ届くような距離に
見えない静寂の壁のようなものが確かにある。


結界とも言うべきその壁が、外界と聖域とをくっきり分けていた。
これを押し分けて先に進もうなどとは、とても考えられなかった。
後に神司の手伝いで、特別に中へと入らせてもらった時も、
やはり私のような不信心者を堅く寄せ付けない、
底知れぬ空気がその場に満ちていた。

この島と、この島の人々にとって、
神の住む深淵とはすぐ傍らにあるものなのだ。

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by amboina
| 2010-05-24 11:20
| 八重山

馬鹿の一つ覚えのように八重山へ通いつめていた私にとって、
宮古島とは羽田行きの直行便が給油に訪れる中継地であり、
三年前に台風で足止めされたという苦い思い出が残る島でしかなかった。


島に標高のある山がないせいだろうか。
曇天の中、着陸態勢に入った飛行機の窓から見下ろすその姿は
まだらな田畑の格子模様が見渡す限りに広がって、
どこか淋しく赤茶けて見える。


しかしその印象は瞬く間に、予想せぬ驚きへと覆されることとなった。
北部に向かう道を下るにつれ、天を切り裂くようにゆっくりと曇はほつれはじめ、
世渡崎からまっすぐに伸びた池間大橋を渡る頃には、
眩い夏至の太陽があざ笑うかのように照りつけていた。



橋を渡る車の両脇を瑠璃色の海が飛ぶように過ぎてゆく。
誰もいない港の片端では、忘れられた陰がじっと息を潜めている。
巨大な砂丘の彼方にはひっそりとしたビーチが静かな波音を響かせ、
断崖の岬にそそり立つ灯台が、荒々しく天に拳を突き立てていた。



それは初めて目にする圧倒的な宮古島の姿だった。
そしてその絶景は、三年前に歪んでしまったこの島の印象を、
呆れるほど短時間に記憶の底から剥ぎ取ってしまった。

もはや帰路の中継地としての物憂い、赤茶けたイメージは心の中に浮かんでこない。
新たに記憶へ残ったのは、沖縄本島にも八重山の離島にも負けない、
荒々しく透き通ったいくつもの残像だ。

その残像が水平線にうねり上がった積乱雲と重なって見えたとき、
今まで知らずにいたこの島の本当の魅力が、
焼けた肌を透かして、ゆっくりと染み込んで来るように感じた。

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by amboina
| 2010-05-22 04:18
| 南方行脚

長らく島へ通い続けるうちに、自然と知り合いが増えていった。
島人はもちろん、内地からの移住者や常連客、
沖縄に魅せられて島で働く若者達など、その顔ぶれは様々だ。

小さな島である。
頻繁に通えばこそ、次第に顔や素性が知れ渡っていくのは、
自然の流れだった。


常宿があるために、その宿で知り合い親しくなることも多い。
夜に庭先で呑めば、立ち寄った島人と新たに知り合うこともある。
祭りがあれば、名だたるカメラマンや大学の研究者とも出逢うことができた。


写真好きから繋がった出逢いがある。
音楽から繋がった出逢いもある。
酒と飲み屋で繋がった出逢いがある。
釣りからはじまった出逢いもある。
なにより、沖縄がなければ繋がらなかった出逢いがある。


そして皆が、南国の空気に溢れた素敵な笑顔を輝かせ、
私のような「よそ者」にも親しく声をかけてくれる。


勿論、私だけが特別なのではない。
当然、始めからそうであったわけでもない。
少しずつ時間が過ぎ、少しずつ少しずつ近づいて、
ようやく手の届いたかけがえのない出逢いである。

その出逢いを大切にしなければならないと思う。
そしてその笑顔をけっして裏切ってはならないと、強く思う。

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by amboina
| 2010-05-20 18:44
| 友人関係

古より青色は様々な言葉で呼び表されてきた。
紺色、藍色、群青色、縹、碧、アズライト、ウルトラマリン…
そうした呼び名の中でも、私は「蒼」という言葉にひどく惹かれる。

なにか突き抜けたような輪郭を持つその文字が、
沖縄で目にする様々な青色を表現するのに、
なんとなくしっくりと当て嵌まる気がするのだ。

かつて八重山に、「ザン」と呼ばれる人魚がたくさん住んでいたという。
彼らは水中と水面の境、抜けるような蒼い世界で生きていた。
人間がこの海にやって来るよりもずっと前から、
沖縄がまだ大陸の一部だった頃から、彼らはこの世界の住人だった。


彼らが見ていた蒼色とは、いったいどんな蒼だったのだろう。
それは例えば琉球ガラスの玉や、染め布のように輝いていたのだろうか。
その色は月夜のように深く、あけもどろのように清らかに澄んでいただろうか。


蒼は死者の色であり、忌禁の色でもある。
同時にこの世ならぬ神秘に心を誘う色でもある。
いつしか彼らはその蒼の中に融けて、消えてしまった。

もしかしたら「蒼」という色は、
人間のために用意された色ではないのかもしれない。

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by amboina
| 2010-05-18 02:56
| 八重山

夜になり、月のない島の空は壮麗な星の世界になる。
初めてこの島を訪れたとき、最後の晩にひとり星を眺めにいった。
夜の匂いが満ちる漆黒の闇の中、足が向くに任せて歩いた集落の外れ、
村に災いが入ることを防ぐ石積みの先端に腰を下ろし、
ぼんやりと夜空を見上げる。

街灯に眩んだ目が闇に慣れるにつれて
初めて見るその偉容は浮かび上がってきた。
八重山では天の川のことを「天じゃら」もしくは「ティンガーラ」と呼ぶ。
天に散る星粒という意味だが、見上げた視界いっぱいに広がるその姿は、
まさに言葉を奪い思考も奪うような星粒の大河だった。

思えばこんなに見事な天の川など、今までに見た記憶がない。
視野の端から端まで、大きく弧を描いて広がる星の流れは
まさに天文雑誌で見かける銀河系そのものだ。
それは美しさを超えて、恐ろしいほどの迫力だった。

手前の星と、その奥に広がる銀河の肢。
その全てが大気の揺らぎに合わせて一斉に瞬いていた。
知覚力を超えた壮大な遠近感に目眩がしてくる。

遠くで牛が鳴いている。
森で呼び交すコノハズクの声も聞こえる。
何よりも夜が身悶えているような夏虫たちの大合唱に合わせて、
天空の星々が静かに呟きあっていた。

暗がりから足下にすり寄ってきた猫達を撫でながら、
明日には戻っていく星も瞬かない地元の夜空を考えた。
空にではなく地上に偽りの星が瞬くせわしない大都会の姿を。
なぜだかその姿が、
天の星達よりもずっと遠くにあるように思えてならなかった。

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by amboina
| 2010-05-17 02:40
| 八重山

年に一度か二度、島で顔を合わせる人がいる。
もの静かで立ち振る舞いも穏やかなその人は、蝶の収集家だった。
聞けば季節ごとに休みを見つけては全国を廻り、
大好きな蝶々を追い求めているのだいう。

初めて会ったとき、彼はこの島には観光で来たのだと言った。
すぐ隣のずっと大きな主島での採集を終え、
たまにはのんびり観光でもしてみようかと、急遽この島に立ち寄ったらしい。


「この島にも蝶はいっぱいいますが採らないんですか」
と私が聞くと、彼はさほど興味もないように首を振り、
「あまり期待してないねぇ」と苦笑いを浮かべた。


そこで私は、南の浜に向かう道には蝶がたくさん群れていて、
そこを歩くと飛び立った蝶が後ろで渦を巻くのだ、と話してみた。
「とても綺麗でしたよ」
「ほう、なら一度行ってみようかな」
さほど気を引かれたふうでもなかったが、
優しい彼は私を気遣うようにそう言って、ふらりと出かけていった。


そのまま、夕食時になるまで彼は帰ってこなかった。
その翌日は、朝早くから採集道具を整え、完全装備で出かけていった。
「これじゃあ、観光にならないよ」
たくさんの獲物を抱えて、午後遅くに戻ってきた彼の顔は
そう言いながらも幸せそうな笑みで溢れていた。

今年も彼からの便りが届く。
取り扱い注意と大きく書かれた小包とともに。
その中にはピンで留められた色とりどりの島の蝶と、
やさしい彼の笑顔が詰まっているはずだった。

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by amboina
| 2010-05-15 04:11
| 八重山