蒼い空に揺れる貝殻細工の風鈴が乾いた音を鳴らした。
遠い海を渡って強い南風が吹き寄せてくる。
梅雨の終わりを告げ、島に夏の到来を告げる風、
夏至南風だ。
陽射しに眩むような浜辺。
木陰で海を眺める彼女の頬を、熱い風が撫でた。
彼女の視線の先には紺碧の空と翠玉色の海が広がっている。
焼けた風は砂浜を吹き抜け、太いガジュマルの枝を揺さぶり
幾重もの風紋を残しながら島中を渡ってゆく。
空からは梅雨の名残である筋雲が姿を消し、
かわりに巨大な積乱雲が天と地の隙間を埋めるように立ち上がる。
夏がやってきたのだ。
海と山と、空と島の大地の上に、
盛大な足音を響かせ、高らかに名乗りを上げながら、
心躍る灼熱の夏が島に帰ってきたのだ。
頬を撫でた風の感触に彼女は微笑んだ。
そして生まれたばかりの、その真新しい夏匂いに満ちた世界を、
いつまでも眩しそうに見つめていた。
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by amboina
| 2010-07-25 11:52
| 八重山
海神祭の翌日。爬龍船競漕で湧いた集落をひとり訪れた。
祭りの熱気が拭い去られた港を背に、
小雨の舞い降るひっそりとした家並みを眺めて歩く。
道端の木々も屋根の瓦も一様に苔むして見えた。
しっとりと湿った空気の中に静かな気配が充満し、
そぞろ歩く私の足音を飲み込み消してゆく。
集落の中心近く、目を奪う明るい大輪が揺れていた。
雨雫を纏ったその明るいハイビスカスがあまりに美しかったので、
何枚か写真に収めていると、かすれた小さな声が笑った。
「にいさん、そんなにハイビスカスが珍しいか」
振り返ると、小柄な老婦人が道端に佇み私を見つめていた。
大きな眼鏡の奥で優しい瞳が微笑んでいる。
「今年は雨が多いからね、そら、花も大きく開くよ」
お茶でも飲んで休んでいきなさいねと、
手招く彼女についてふらりとくぐった門の先には、
少し痛んだ琉球家屋と手入れの行き届いた緑の庭が広がっていた。
そしてその庭に面した小さな縁側で、彼女は私の隣に座り、
夢を見るようにやさしく頷いた。
この家のほとんどの部材に使っている虫に強い木の話。
庭木として大切にしているという黒木の由来。
御盆に帰ってくる孫達のために育てている鉢植えの花の話。
彼女が徒然に口にする物語はすべて、
縁側から眺める事のできる木々や緑の話だった。
二杯目のお茶を啜り終えた頃、
近くの小学校で下校を知らせるチャイムが鳴った。
その音を潮時にお茶と話の礼を残して腰を上げると、
彼女は門の外まで見送りに出てくれた。
雨は細く、変わらず集落の道をどこまでも濡らしている。
それでも時々、流れの速い雲の切れ間から差し込む小さな日溜まりが、
黒々とした路面のあちらこちらに明るい光の帯を投げかけていた。
「雨が強くなったら戻ってくればいいさ」
門前の石垣にもたれ小さく手を振る、そんな老婦人の言葉が、
なぜだかとても嬉しかった。
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by amboina
| 2010-07-23 08:36
| 南方行脚
爬龍船競漕に湧く桟橋の一画。
小さな儀間の港を背に建てられた櫓の上へ、
それぞれの三線を手に島の子供達が駆け上がって行く。
朝早くから始まった海神祭の余興として、
島の小中学校に通う子供達だけで結成された
民謡グループが演奏するのだという。
少女達の涼しい声が連なり、
基礎のしっかりした三線の音と重なり合う。
色艶やかな祭衣装を身に纏った彼女達が披露するのは、
まぎれもない琉球民謡の数々である。
その演奏を聞いて驚いてしまった。
背筋をぴんと伸ばし、視線を凛と前に据え、
堂々と三線を腰に当てた立ち姿は、
観客の年寄り達も唸る見事なものだったのだ。
謡いは情け唄からポップスへ、そして地元の民謡に移る。
やがて賑やかなカチャーシーへと弾き繫がれていくと、
櫓を取り巻いていた人垣から自然と踊りの輪が広がっていった。
やがて全ての演奏が終わり、
満場の喝采を残して人々の関心が爬龍船競漕に戻って行く頃、
ステージ下でくつろぐ彼女達の姿を見つけた。
緊張の解けたその顔からは、
先程までの凛と張りつめた光は消え失せ、
等身大の少女のあどけない笑顔で輝いていた。
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by amboina
| 2010-07-20 01:59
| 南方行脚
港は静かな熱気に満ち満ちていた。
賑やかな三線と歌声が響く中、
興奮を隠せない様々な顔が忙しなく行き交っている。
旧暦の五月四日。
海神祭のこの日、漁の安全と豊漁を祈願した伝統行事である
爬龍船の競漕が島の各漁港で盛大に開かれていた。
空は相変わらずの曇天だったが、
時おり薄い陽射しが差し込む湾内は
詰めかけた人々の熱気がそうさせるように、
言いようのない予感を含んで波高くざわめいている。
スタートを告げる鐘が鳴った。
岸壁や防波堤に陣取った島人があげる声援の先、
喫水の低いサバニの上で11人の男達のかけ声が重なり合い、
勇壮な櫂さばきを推力に三艘の爬龍船が波を切って疾走する。
爬龍船競漕の鐘が島に響くと梅雨が明けるという。
夏を呼ぶその高らかな鐘が港に鳴り渡るたび、
地元の子供も老人達も、見ず知らずの観光客同士も、
低い雲を突き破るほどのかけ声を合わせて懸命に櫂を漕ぐ。
転覆する船や、大差がついた競漕もあった。
しかし水飛沫の中に弾けるみんなの笑顔と笑い声が、
この祭りに勝敗などないということを伝えている。
ひときわ盛大に鐘の音が鳴った。
祭り最後の爬龍船が渦巻く歓声と熱狂を切り裂き
疾風のように港を駆けていく。
その煌めく航跡の中にほんの少しだけ、
待ちわびる真夏の光が閃いたような気がした。
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by amboina
| 2010-07-17 04:03
| 南方行脚
那覇空港から25分あまり。
青と黄色で縁取られた小さな双発機が降り立ったのは、
深い雲の谷間に沈んだ雨の島だった。
低い鉛色の空から差し込む梅雨の明かりの下で、
山の緑は深く沈み、海は濃淡の細波を一面に散らしている。
湿気を帯びた大気が身体にまとわりつき、
細かな汗と混じって腕を伝う。
深く息を吸えば溺れてしまうのではないかと思うほど、
島は底知れぬ水の気配に満ちていた。
六角形の奇岩が敷き詰められた海辺でも、
数百年の樹齢を誇る松の根元にも、
その水の気配は静寂とともにひっそりと這い上がってくる。
真夏を前にした沖縄の離島とは、およそかけ離れた世界だった。
ならばと、島を縦断する山道へ車を走らせる。
いくつかの港町を過ぎ、広いさとうきび畑の中を抜け、
より深い濃密な水の気配を求めて、
細く曲がりくねった道を雲の中へと駆け上って行く。
頂上付近の展望台で車を停めると、遠くで雷鳴が轟いていた。
少しだけ降ろした窓から差し出した腕を大粒の雨が叩く。
振り返ってみると、辿ってきた峠の道は
いつしか雲とも霧とも見分けのつかない、
深い白の中に閉ざされ消えてゆくところだった。
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by amboina
| 2010-07-14 05:04
| 南方行脚